『KEEP MOVING 限界を作らない生き方』 試し読み|誠文堂新光社

Introduction

「アイスバケツ・チャレンジ」を覚えていますか?

 みなさん、こんにちは。武藤将胤むとうまさたねと申します。
  1986年生まれ、現在31歳。僕は27歳のときに難病「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」を発症しました。
  ALSと聞いて、あなたは何が頭に浮かびますか?
  「車いすの天才科学者」、スティーヴン・ホーキング博士?
  博士は、おそらく世界でもっとも有名なALS患者さんです。電動車いすに乗り、音声合成によるコミュニケーションで研究活動を続けられる博士の姿は、多くの人の脳裏に刻まれているでしょう。2018年3月に惜しくも亡くなられてしまいましたが、ALSという病気を広く世の中に知らしめた最大の功労者といえます。
  アメリカでは、ALSはメジャーリーグの往年の名選手、ルー・ゲーリッグを引退にいたらせた病気として知られ、「ゲーリッグ病」などとも呼ばれています。
  漫画『宇宙兄弟』を思い浮かべる方もいるかもしれません。あのストーリーの中にも、ALSで父を亡くした経験をもち、医師から転身した女性宇宙飛行士や、ALSを患う天文学者が登場します。
  あるいは「アイスバケツ・チャレンジ」を思い出す方もいるのではないでしょうか。著名な政財界人やエンターテイナーたちも氷水をかぶって、大いに話題を呼んだあれ、、です。2014年の夏、アメリカで始まったムーブメントは、FacebookなどのSNSやYouTubeを通じて、一気に世界中に広まりました。
  アイスバケツ・チャレンジは、「まだ治療法の確立されていないALSの治療法の研究開発を支援しよう」という目的で始められたチャリティ・キャンペーンでした。SNSで拡散する、動画で誰もが見ることができる、という時代のツールとの相性がよかったこともあり、たいへん盛り上がりました。
  アイスバケツ・チャレンジによってALSの知名度は一躍世界中に広まり、多額の支援金が寄せられました。そのおかげで、ALS治療薬の研究にも希望の光が見えてきたといわれています。しかし残念ながら、今もALSの画期的治療法の確立はされていないのが現状です。

ALSの宣告

 世の中がアイスバケツ・チャレンジに湧いた2014年の夏、僕は「ALSの疑いがある」と言われて、不安の真っただ中にいました。普段の僕は世の中を変えていく活動には積極的に関わりたがるほうですが、あのときは自分自身が氷水をかぶる心境にはとてもなれませんでした。
  その年の秋、2014年1027日、僕はALSであると宣告を受けました。
  「筋萎縮性側索硬化症(Amyotrophic lateral sclerosis 略称ALS)」は、身体を動かす運動神経が変性し、徐々に壊れてしまう疾患です。手足をはじめ身体中の筋肉が少しずつ動かなくなっていき、声を出すこと、食べ物を飲み込むことなども難しくなり、やがては呼吸機能も侵されてしまいます。
  現在、世界で約35万人、日本では約1万人の患者さんがいるといわれています。しかし、いまだ原因もはっきりとわからず、有益な治療法も見つかっていません。一般的には5070歳代に発症するケースが多く、僕のように20代の若さで発症するのは稀なのだそうです。
  進行のスピードや症状の出方には、かなり個人差があります。ただ、いずれにしても進行が進むと呼吸障害を引き起こしてしまうので、命の危険が生じます。発症してからの平均余命が3年~5年という厳しいデータもあります。
  ALSのさらに大きな問題点は、身体が動かせなくなり、声も出せなくなり、顔の表情筋を動かすことも、瞬きすらもままならなくなっていくことは、他者とコミュニケーションをとる方法が失われてしまう、という点です。病気によって衰えるのはいわゆる運動機能だけで、意識や感覚、知性など、いわば知能の働きは健常なときと変わらないのに、外界とまったくコンタクトできなくなって「閉じ込められ状態」になってしまうのです。
  なぜそんな病気に、僕は選ばれてしまったのか。しかも20代の若さで。
  秋の深まりと共に、アイスバケツ・チャレンジの話題は少しずつ人の口にのぼらなくなっていきましたが、僕にとってALSは、これからずっと闘っていかなくてはならないもの、僕の生命を揺るがす脅威として、目の前に立ちはだかっていました。

好きだったものが奪われていく……

 自分自身がALS患者という立場になって感じたのは、「これまで当たり前にできていたことができなくなっていくのは、自分らしさを失っていくような不安や寂しさ、歯がゆさをともなう」ということでした。
  たとえば、僕は自転車愛好者で風を切って街中を疾走するのが大好きでしたが、愛用のバイクに乗れなくなりました。
  自分の部屋にDJブースを設けてしまうくらい、好きな音楽にひたった生活をしていたのに、手でDJプレイができなくなりました。
  お気に入りのシャツのボタンが留められない、大好きなデニムがはけない、好きな服もどんどん着られなくなっていきます。
  自分から好きなものが次々と奪われていく、それは「僕らしさ」が次々と失われていってしまうような感覚でした。
  そんな中で考えたのは、「どうしたら、この状況のなかでも自分らしさを損ねずに笑顔になれるのだろうか」ということでした。
  ふと、これはALSという病気に限らず、さまざまな病気や障害によって「普通の生活」ができなくなった人すべてに通じることなのかもしれない、と思いました。みんな僕と同じように日常から好きなものが奪われていき、そのことに寂しさや不安やストレスを抱えているけれど、患者側の立場からはなかなかそういうことを発信できないまま、悶々としているのではないだろうか。
  僕自身、自分がこういう状況になったことで、障害を抱える人の生きづらさを初めて実感として味わいました。難病患者になったからこそ、今の僕の立場だからこそ、言えることやわかることがあります。そういう視点で、ALSをはじめ、いろいろな病気や障害をもつ方たちが、どうしたらもっと生きやすくしていくことができるのか、「QOL(Quality of Life ―生活の質)」の向上のために、この状況を変えていく活動ができるのではないか、そう考えるようになったのです。
  神様という存在がいるのであれば、「おまえ、この分野にイノベーションの風を起こせよ!」と僕に使命を与えたんじゃないか、僕が20代の若さでこの病気を発症したのは、ひょっとしたらそのためなのかもしれない、そんな気すらしてきました。
  僕は、ALSという病気を憎んだり、こんな境遇になった自分の人生に希望を失ってしまったりするのではなく、「ALSと共に生きる」ことにしたのです。
  さまざまな制約はあるけれど、僕が僕らしくいるために、そしてハンディキャップを抱える人がその人らしく生きられるようにするために、新たなアイディアを考え、制約というカベを超える挑戦をしていこう―。そういう思いで「WITH ALS」という団体を立ち上げたのです。

身体は動かなくても、行動しつづけることはできる

 僕自身の身体的制約は、日々増しています。
  声を出すことも、かなり苦しくなってきました。呼吸障害も少しずつ起き、気管切開手術をして人工呼吸器を装着するかどうかという選択を迫られる段階になりました。
  気管切開とは、肺に空気を送ったり、たんを吸引したりするための穴をのどぼとけの下に開けることです。気管切開して人工呼吸器を装着することで呼吸が維持できると、差し当たって命の危険を遠ざけることができます。ただその場合、自分の声で話すことが難しくなります。人とコミュニケーションをとる方法が減っていく中で、声を失うのは大きな不安材料です。
  しかし、僕はそれを受ける決断をしました。
  できなくなってしまったことは山ほどありますが、それを嘆くのではなく、残されている機能をどれだけ最大化させていけるか、そこを大切にしたいと僕は思っています。
  今、手は指先だけがやっと動かせる状態ですが、電動車いすのスティックをいじったり、スマホを操作したりすることができるので、毎日、電動車いすであちこちに出かけ、人と会い、忙しく働きつづけています。
  滑舌がどんどん悪くなっていますが、ラジオパーソナリティもやっていますし、手が動かなくても、イベントやフェスでDJ、VJをやってライブ活動をしています。
  それが可能なのは、僕が多くの「サポーター」に助けてもらっているからです。家族、仲間、介護や医療関係のスタッフといった周囲の人たちのおかげはもちろんですが、僕のサポーターは「人」だけではありません。さまざまな「テクノロジー」の進化もまた、僕を強力に支えてくれています。
  人と人とのコミュニケーション、先進のテクノロジー、このふたつの力を駆使して、障害を抱えた人も、そうでない人も、もっと生きやすくしていく。これが僕の描いているボーダーレスな社会の未来像です。
  僕は、ALSという難病が治せるようになる日を、一日でも早く迎えたいと心から願っています。その日はけっして遠くないはずだとも信じています。その日を迎えるために、今自分にできることを、日々全力でやっています。
  「ALSを治せる未来」が必ず来る、必ず創れると信じている僕の頭の中を、この本でのぞいてみてください。

Chapter 1 制約が僕を進化させてくれる

「なんてクレイジーなやつなんだ!」と言われた日

 2017年3月、僕はアメリカ、テキサス州オースティンで開催された「SXSW2017」に参加しました。音楽、映画、テクノロジーの分野でさまざまなイベントが行われる大規模なカルチャー&テクノロジー・フェスティバルで、SXSWとは「South by Southwest(サウス・バイ・サウスウエスト)」の略です。
 この音楽フェスの場で、僕は「EYE VDJ」を披露しました。目の動きだけで、音楽と映像を操る、つまりDJ(ディスクジョッキー)とVJ(ビデオジョッキー)両方の役割を果たすというライブパフォーマンスです。
 そのときに、盛り上がったアメリカ人の観客から言われたのが、「おまえ、ほんとうにゲーリック病(ALSのこと)なのか? 信じられない。なんてクレイジーなやつなんだ!」という言葉。
 僕にとってはめちゃくちゃうれしいほめ言葉でした。
 なぜなら、僕は「クレイジー」といわれる人間になりたいとずっと思ってきたからです。
 「クレイジー」には「頭がおかしい」みたいな意味もありますが、「ぶっ飛んでいる」「突拍子もない」「熱狂的にハマっている」みたいな意味もあります。そう、僕は「ぶっ飛んでいるやつ」でありたい人間なんです。
 きっかけになったのは、大学生の頃出会った、ひとつのCM映像でした。
 「Think different.」というスローガンを掲げた1997年のアップル社のCMで、奇人、変人、革命者といわれてきた天才的な人たちの映像と共にメッセージが流れ、最後にアップルのロゴが出るというもの。
 メッセージは、「クレイジーな人たちがいる……」と始まります。アインシュタイン、ボブ・ディラン、キング牧師、エジソン、モハメド・アリ、マリア・カラス、ガンディー、ピカソといった世界にその名をとどろかせる人たちのモノクロ映像が次々と流れ、「自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが、本当に世界を変えているのだから」と静かに終わります。
 1997年当時まだ小学生だった僕は、そのCMをリアルタイムで観た記憶はないのですが、大学時代に、インターンをしていたベンチャー企業の人が教えてくれたのです。
 すごいインパクトを受けました。
 人から「クレイジー」と言われるくらいに自分の信念をもって何かにのめり込む、そんな熱さを持った人、自分が世界を変えられると本気で信じる人たちが、本当に世界を変えてきた―このメッセージが、深く心に刺さり、内側から自分が揺さぶられました。
 そして、「クレイジーってカッコいいなあ」「僕もこういう生き方をしたい」と強く思ったのです。
 「よし、僕もクレイジーに行動するぞ!」そう決心した僕は、学生団体を立ち上げました。僕らの大学でまだ誰もやっていないことをやるための団体です。
 じつは、「将来は広告の世界に進みたい」と考えるようになったきっかけも、この「Think different.」のCMでした。わずか60秒、90秒の世界で、人をこんなに感動させられる、人の心にスイッチを入れることができる、広告のもつパワー、社会を動かす力の大きさを感じ、俄然、広告業界への関心が湧いてきたのです。
 そんなわけで、「いつだってクレイジーなやつらが世界を変えてきたんだ」「クレイジーにやろうぜ!」これが、大学時代からの僕の口グセでした。
 その僕がALSになり、できることにいろいろ制約が出てきているなかで行ったパフォーマンスで「なんてクレイジーなやつなんだ!」と言われたわけです。これ以上うれしいことはない、っていうくらいテンションが上がりました。

どうしたら今の僕にも音楽表現ができるか? ヒントになったメガネのこと

 僕は音楽が大好きです。高校時代には、仲間とバンドを組んで自主ライブをやっていました。大学時代には、立ち上げた学生団体で音楽イベントを企画・運営したりしていました。
 社会人になってからもずっと音楽と関わっていきたいという思いで、DJ活動をやるようになっていたところに、ALSを発症しました。
 手足の自由が徐々に奪われていって、昨日までできていたことが今日はできなくなるという怖さと日々闘うなかで、「どうしたら、これからも音楽と関わりつづけられるだろうか」と僕は考えました。
 ALSは、まだ原因もよくわかっていないため、判明していないことがいろいろありますが、病気が進行しても眼の動きは比較的最後まで残るといわれています。そのため、視線入力装置を用いて意思伝達を日常的に行っている方たちが多くいます。
 僕自身ALSになってから、たくさんの患者さんにお会いしてきました。
 50代以上の方が圧倒的に多いのですが、60代、70代の方でも、みなさん視線入力装置を巧みに使ってコミュニケーションをとっています。手も動かない、言葉も発せない、それでも眼で言いたいことを伝え、メールなどもバンバンやりとりしているのです。
 その姿を初めて見たときは、「わあ、なんてハイテクな方たちなんだろう!」と驚きました。同時に、僕自身もそこに大きな希望を見出すことができたのです。
 僕は、視線入力についていろいろ調べるようになりました。
 そんななかで知ったのが、メガネメーカーのJINS(株式会社ジェイアイエヌ)さんが発表した「JINS-MEME(ジンズ・ミーム)」というメガネ型のウェアラブルデバイスです。
 眼の動きを検知する「眼電位センサー」と、カラダの動きをとらえるセンサーを搭載したメガネ型ウェアラブルデバイスで、眼の動きで自分の健康状態をチェックすることができるというものです。
 可能性を感じて関心をもった僕は、すぐにフラッグシップストアに出向いてそのメガネの着用体験をさせてもらいました。
 第一印象は、とにかく軽くて、いい意味で「普通のメガネみたいだ」ということでした。視線を計測できる「アイトラッキング装置」を搭載したデバイスも最近はけっこういろいろ出てきていますが、ごついメカという感じのものがほとんどです。しかし、ジェイアイエヌさんの作ったデバイスは、ぱっと見には完全に普通のメガネと変わりありません。その「いかにも障害者向け」なテイストがないところがすごくいい、と僕は感じました。
 この「JINS MEME」を活用して、眼の動きを使って電子機器をコントロールするようなものができないだろうか―。僕はジェイアイエヌさんに提案しました。
 そして、僕らWITH ALSとのコラボレーションが始まったのです。

視線で電子機器を操作するしくみ

 眼の動きで電子機器の操作をするとはどういうことなのか。
 簡単に言うと、人間が眼を動かすときには、微弱な電気が発生します。それを感知するのが「眼電位センサー」です。センサーが、瞬きをしたり、視線を動かしたりするときの電気信号をキャッチして、電子機器に操作指令を出すわけです。
 そのしくみを利用して、「JINS MEME」で 電子機器の操作が手軽にできれば、僕は手が動かなくてもDJとかVJができる。理論的にはそういうことになります。そういうことがしたいんだと最初にジェイアイエヌさんにお話ししたとき、「理論的にはわかるのですが、そんなことができるんですか?」と驚かれました。そういった使い道は思いもかけていなかったというのです。
 僕らWITH ALSのメンバーには、技術的な専門家はいません。ただ、「こんなものがあったらいいよね」とか「こんなふうにしたらできないかな?」というアイディアはたくさん湧いてきます。それを実現化させ得るテクノロジーをもつ専門家と僕らがタッグを組むことで、まだ世の中にはないものがきっとできる、僕はそう思っていました。
 眼の動きだけで電子機器操作をするなんて、ものすごく難しいことのような気がします。でも、ゲーム機のジョイスティックと決定ボタンをイメージしてみてください。決定ボタンを押すことを瞬きで、ジョイスティックを上下、左右、斜め4方向に動かすのを視線移動でやれれば、眼で電子機器を操作することってできますよね。
 何かものすごいものを「発明」しなくても、すでに世の中にあるものを工夫して、活用、改良していくことで、できはしないだろうか。専門的なことを知らないからこそ、僕らは自由に発想することができます。
 僕自身が実験台となって、眼の動きで電子機器を操作をするアプリケーション、DJとVJができるシステムを作るチャレンジを始めました。
 一般的には、DJを行う人とVJを行う人はそれぞれ別です。眼の動きでDJをやるということ自体が突拍子もないことなのに、「眼だけでDJもVJもやりたいんだ」というのは、かなり無謀なアイディアであることは僕だってわかっていました。
 でも、手の動かなくなった僕がひとりで両方できたら、ALSによって身体に障害が出る前よりも、僕は進化することになります。言い換えれば、制約を自分の武器にしてしまえる、障害をアドバンテージにできる、ということなんです。
 無茶は承知でしたが、こんなワクワクするチャレンジを思いついてしまったら、もう挑まずにはいられません。「クレイジーにやろうぜ!」なのです。

「EYE VDJ」ができたから可能になったこと

 僕の頭の中の「こんなものがあったらいいな」という妄想から始まったこのプロジェクトが実現し、発表にこぎつけることができたのは、BRIDGE年6月21日世界ALSデーの時でした。
 僕らはこの「眼の動きで音楽と映像を操るプレイ」を「EYE VDJ」と名付け、音楽フェスやイベントなどの場で披露させていただいてきました。世界中でまだ僕のほかには誰もやっていないチャレンジだろう、と自負しています。
 開発過程では、眼の動きの繊細さ、人体の構造のデリケートさというものを痛感したこともありました。ライブ本番前には、僕も眼の動かし方を一生懸命トレーニングして何度もリハーサルを重ねました。しかし、本番を迎えて僕が普段よりも緊張していると、無意識の瞬きが多くなります。自分では落ち着いているつもりでも、身体は緊張し、眼の状態もいつもと違う興奮状態になっているんです。そうすると、視線の動きの読み取りがリハーサルのときのようにはいかなくなってしまうのです。
 最初の音が出るまでに、30分もかかってしまったことがありました。
 それが、お客様の前で初めてプレイした、第一音目、EYE VDJとしての第一歩目の時のことです。
 チャレンジにはいろいろなアクシデントが付き物です。今となっては、大切な想い出話のひとつですね。
 そうした点も、開発チームの皆さんと二人三脚で研究を重ねていきました。
 日ごろ無意識にやっている周期性、反射性の瞬きと、意識的にやる随意性瞬きとをセンサーが区別して検知できるようにしたり、最大8方向(左右上下斜め)まで、眼の動きを識別させることができるようにまでなりました。日々改良を繰り返すことで、精度を上げていったのです。
 プレイするのは僕一人ですが、博報堂、山本製作所、invisible Designs lab.、本当に素晴らしいプロジェクトチームの仲間と挑んだことで、実現したのです。
 僕がEYE DVJをやるために作ったこのシステムを応用させることで、視線入力でさまざまな電子機器を操作するアプリケーションを開発することもできました。それが「JINS MEME BRIDGE」というアプリケーションです。Android用アプリなので、Androidのスマートフォンを持っていれば、誰でも使えます。
 前述したように、ALSの患者さんたちは視線入力装置を利用しています。しかし、これまでの装置は基本的にパソコンを使って操作する大がかりなものばかりでした。でも、「JINS MEME」なら、メガネとスマートフォンさえあればいい。大きな装置は必要ないということは、ALS患者さんでもただベッドの上に横たわっているだけでなく、移動しながらいろいろなことができるようになります。
 どんなことができるかというと、たとえば、目の動きや、瞬きでスマホカメラで写真撮影ができます。
 音楽ストリーミング配信サービスSpotifyに繋げて、好きな音楽プレイリストを再生したり、停止したりすることもできます。
 スマートリモコンとの連携によって、部屋のエアコンやテレビ、照明をコントロールすることも可能です。自分の意思でこうした環境操作ができるだけでも、日常生活の快適さはまるっきり変わってくるはずです。

映画で見た「夢のツール」みたいなものができたら

 僕の創造力の根っこにあるのは、「映画に登場するような夢のツールを実現させられたら楽しいな」という気持ちです。小さい頃から映画が大好きで、映画からたくさんの刺激を受けてきました。
 僕が生まれたのはアメリカ、カリフォルニア州サンタモニカです。生粋の日本人ですが、両親が仕事の関係でアメリカ暮らしをしているときに向こうで誕生しました。
 小学校に入る前に日本に帰国しましたが、僕の中の「カッコいい」もの、「面白いもの」の原点というのは、ほとんどアメリカンカルチャーにあるといってもいいかもしれません。日本で幼少期を過ごしていたら、きっとテレビアニメだったり、戦隊ものだったりに影響を受けたのでしょうが、僕にとってはそれがディズニー作品やアメリカン・コミックスを原作とするハリウッド制作の子ども向け映画だったわけです。
 僕は、ひたすら愛らしいキャラよりも、ひとクセあるようなキャラが好きでした。
 当時、僕がドはまりしたキャラクターのひとつが、『ミュータント・ニンジャ・タートルズ』に出てくるカメたちでした。本来は動きの遅い動物であるカメたちが、人間というか忍者として華麗な技を繰り広げる。考えてみれば、はちゃめちゃな設定ですが、好きでしたね。すごくハマっていました。
 そして、映画を観た後は、自分のお気に入りのキャラがその後どういう活躍をするかという続きの物語を自分で勝手に作るのが好きでした。
 ニンジャ・タートルにしても、家のリビングのソファの下とか照明スタンドの下を彼らの秘密基地に見立て、タートルの人形を手にして、自分のオリジナルストーリーを展開させてひとり遊びするようなことをよくやっていました。
 もうひとつ忘れられないのが、映画を観ると、そこに出てくるツールやギアにやたらと目が向いていたこと。たとえば、『ゴーストバスターズ』のメンバーたちがゴースト退治に行くときに乗っていた車とか、背負っていたタンク。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のスケボー型ホバーボード。現実にはありえない面白い道具類に惹きつけられ、「これ欲しいなあ」とか、「こういうものに乗りたい」とか夢見る子だったのです。
 昔は夢のツールだったものが、実際に製品化して僕たちの生活の中で使われているというものが、たくさんありますよね。それによって、僕らの生活はどんどん便利に、快適になってきました。
 テクノロジーが大好きな僕の根底には、映画に出てきたようなものが実現する社会へのあくなき憧れ、テクノロジーが暮らしを明るく変えてくれるという期待感が強くあるのです。

眼でできることで楽しめる世界を拡げたい

 昔から僕は、写真や映像を撮ることが好きでした。今はもう、カメラを構えて手でシャッターをきることができなくなってしまいましたが、「JINS MEME BRIDGE」のアプリを使うことで、この目で見ている景色を、瞬きひとつで再び写真や映像として撮ることができたらと考えると、ワクワクします。
 また、僕がEYE VDJをやり、楽器演奏者の人やラッパーの人とセッションできたら、すごく楽しいだろうな、とも思います。
 あるいは、視線で絵が描けるようになったりするのも、とても楽しいことでしょう。
 障害者のためのツールを見ていると、日常生活の中の支障を減らせればいいだろう、最低限のことができればいいだろう、といった視点で考えられていることが多いのです。
 疾患や障害を抱えた人は、「とりあえず日常生活を無事に送れることだけでありがたい」と思っていなければいけないのでしょうか。それ以上のこと、好きなことをやることを我慢したり、表現活動をあきらめたりしなければならないものでしょうか。
 ALSに限らずさまざまなハンディを抱えた人も、それぞれの制約を超えて「好きなこと」がもっといろいろできるようになったら、前向きにイキイキと生きていく意欲をかきたてられるようになると思います。
 僕は、ハンディがある人ができること、その可能性を拡げたいのです。
 「すべての人に表現の自由を」
 それが、このプロジェクトで、僕が社会にもっとも発信したいメッセージでした。
 その最初のアプローチが、僕にとっては眼でできることを増やすことでした。
 僕たちは「オープン・イノベーション」の姿勢で、開発してきたソフトウェアの軌跡を、無償で世界中の開発者に公開しています。このアプリの機能がいっそう飛躍的に充実していってほしいと願っているからです。
 機能が増えていくことで、1人でも多くの人の表現の自由を叶えられるように。
 僕の「EYE VDJ」というアイディアは、僕自身が制約のある生活を余儀なくされたからこそ、思いついたものでした。普通の健常者として生きていたら、こんな発想は出てこなかったと思います。
 そういう意味では、僕は健常者であったときよりも今のほうが、発想が豊かで柔軟になっている、といえます。
 制約が、今の僕を羽ばたかせてくれているのだと思います。けっして負け惜しみなんかじゃなくて―。